畑を手伝う

秋の菜園場づくりに夏ものを片づけて、肥料やら石灰を混入して耕運機で整地する日であった。私は畑仕事が大嫌いだ。百姓の出であるにも関わらず、苦手としている。畑はほとんど妻が趣味として関わり、食卓にもたびたび一品として出てくる。私としては心苦しいがなんとか妻には了承済みだ。手伝うのは耕運機の操作、キュウリや茄子などの手をつくる時に畑に出て行って作業をするぐらいだ。

 私は山奥の貧農家で生まれた。当時は水道もなけれは、電気もつかない、ランプが記憶に残っている。水は谷底で湧き出している清水を汲み上げて、飲み水とし、風呂水にもなった。バケツ2杯に水を汲み天稟ぼうで担いで、何度も往復したものだ。もちろん風呂は薪で沸かし、炊事もかまどに木を焚べ、火吹きだけでフーフーと吹いて火を起こしたことを今でも思い出される。

 私は長男だった。親にとっては私は親の希望でもあって、「ここはいいから勉強をしておきなさい」と言われて苦役から逃れるチャンスみたいになった。だから、勉強はした。大学にも行った。親の願いがこもっていた職業についた。百姓は嫌だなーというのがいつも頭にあったのが、今も続いているということのようだ。利己主義め!と言われそうだけど。

 

 

久し振りの写真愛好家

昨日のゴルフ疲れで歩くのもしんどいが、写真を撮りたいという意欲がこんな時に限って湧いて来る。家から車で30分ほどで行くことのできる公園に出掛けた。10時前というのに残暑が厳しい。夏に咲く花はそんなに多くないので、最近消化不良の気分だったが、この公園に来ても、何を撮るかイメージを膨らませながら歩くが、暑さで花も生気が乏しいな。人間と同じか、なんて思いながら、ブラブラ。朝顔があった。ここに来なくてもあちこちに咲いているけどと思いながら、カメラを構える。まず光り。美しいフォルムを活かしたい。バックの背景に気をつけながら丸ぼけを見つける。この手順がたまらない。

この公園に来たのは、黄色コスモスを撮ることが目的でもあったが、何か雑然と咲いている。手入れなんか余りしてないな。私の黄色コスモスを表現しようと、汗まみれになってシャッターを切っていく。楽しいの一言。2時間ほど夢中になった撮影でした。

 

久しぶりのゴルフ

ゴルフは半年ぶりだ。ゴルフで右の肘を傷めてコップを持つのも悲鳴をあげる始末。整形外科に行くとゴルフ肘とのこと。当分ゴルフは無理です、と診断された。せいぜいアプローチぐらいなら、と言われてしまった。それから半年。今日ゴルフ道具を取り出してみると、埃まみれ。

天気は良し。秋の気配が嬉しい。前日少しでも練習しとけばよかったかな、とは思ったけど、いつものぐうたらが出てきて、マ、イイヤー。ともかくドライバーはまだ怖くて触れない。取り出したのはウッドの7番。大昔に買った初心者用で、軽くて肘には負担がかからないのを確かめて、打つ。なんとナイスショット。自分で驚く。その後も快調に行く。メンバー曰く。「悪い癖を忘れていていいじゃないか」。肘に衝撃が走らないように柔らかく打っているのがいいんだ。力任せにドライバーを降ってないのが正解だった。でも、好事魔多し。午後は疲れもあり、杜撰な打ち方でメッタめた。やっぱり自分の実力ってこんなもんだ。疲労困憊で終わったが、いい一日だった。

自己との出会い2

ワークショップには県外にも多く出かけて行った。今振り返ってみると、まるでワークショップ病にかかっているみたいだった。「自分は何者なのか」を求め続けていた。自分の母親に目に見えない縛りを受け続けており、他人の目が気になるのも、母親の目をいつも気にしながら成長して行ったせいなのだ、と気がついた。また、グループのメンバーの1人の女性が気に障り、「あなたはまるでゴツゴツした岩石みたい」と発したことがある。彼女から、後日、「あるカウンセラーに相談したら、その発言者自身が岩なのでしょう、と言う事でした」と手紙がきた。そうか、自分がもっているものが相手に見えること」の不思議さを学んだ。それ以降彼女との交流が40年続いていることも不思議だ。

県の教育センターで1年間の長期研修を受けながら、箱庭を学び、精神分析を受けてきた。そのときの夢が自分の状況を語っている。「列車に乗ろうとして、切符を買う窓口に行ったが、行き先がわからない。」また、「街中を、大きなバスを運転していくが、コーナーが曲がれないで立ち往生して目が覚めた」

心の有り様を学ぶために、フロイトユングに出会ったことも大きかった。

 

自己との出会い 1

カウンセリングマインドを身につけるにはどうするか。まず、専門書を読み漁った。今でもその当時の本で、書架はいっぱいだ。今になっても廃棄できない。自分の一部になっているみたいだ。次に、ワークショップに参加して行った。最初は教育センター主催のワークショップで、不思議な時間を過ごしたのを忘れない。何十人もの参加者がいて、何組かのグループに分けることから始まる訳だが、何も決まって居ない。前もって決められていない。「そうぞ始めましょう」そこから沈黙が始まる。今までの研修といえば、段取りは決めてあるのに、何も無い。話し合う議題も無い。何も無い世界から、主体的に動きなさいと言うことだけど、初対面の人の中でどう動くか、今思い出しても、よろ耐えていた自分を思い出す。その日から3日間ほど同じグループでどう過ごすか。どう自分が主体的になれるか、どうメンバーと関われるか。とても意義のあった研修だった。自分を知ってもらうには、自分の今の気持ちをメンバーに伝えなくては、心の交流ははじまらない。

 

 

カウンセリングとの出会い

私はカウンセラーになりたくてカウンセリングを学んだわけでは無い。30歳の頃だろうか、同僚の机上に「新訂カウンセリング」の本が置いてあった。伊東博著だったと思うが、当時ロジャーズ流カウンセリングが日本に入ってきて、学校カウンセリングの始まりとなった本だったと思う。受容・共感・自己一致の態度を身につける事の大切さを強調していた。

当時、私自身生徒を見る目に、どうも歪みが有るのでは無いかと感じ始めていた。生徒自身の問題もあるが、生徒に接する私にも問題があるのではないか。私の周りにいる生徒の動きを見ていて、わたしの動きを見られている。どういう自分に見られているのかを、観察されている。じゃ私は私がわかっているのか。

そのような時期に出会った本だった。「汝自身を知れ」から始まったカセリング学習になった。本を何度も繰り返して読んで、内容の理解は身についてきて、生徒への接し方も変える努力をしていったが、逆に学級経営が不安定になってしまった。畳の水練と言うやつだ。

実践をどうするのかの課題にぶつかった。