82歳になった 2

前回から1週間過ぎた。私の大学生活は実に緊張感のない生活で、今から思い出しても恥ずかしいものがある。入学当初は珍しさもあったが、講義の内容にあまり意味も見出せず、ただ登校するだけの生活だった。タバコを覚え、酒を飲み、登校途中寄り道をして麻雀もよくやった。講義で何より苦労したのは、外国語大学だから当然だろうが、週2回もあった英会話の時間。英語の読み書きはできて当たり前だったが、英語で会話なぞしたことはなかった。指名されて、I'm sorry I don't  know.などとその場をやり過ごしていたもんだ。それでも単位だけは習得できたのがhappyではあったが。当時は全くのノンポリで。政治情勢には疎かったが、学生運動している最中、樺美智子さんが亡くなったことはショックっだった。元町をデモしたのは記憶にある。

今から振り返ってみると、モラトリアム中の自分の精神的未熟児と言っていいかもしれない。部活動にも打ち込めず、群れることの好きででない私だから、友人関係も希薄だったと思う。素敵な人にも出会ったが、なんとなく自然消滅して終わったこともある。しかし、人生て不思議なもので、同級生だった人から、同窓会の誘いがあって、渋々出席したが、意外に私を記憶してくれていて、自分の存在を確認したものだ。また、半世紀も過ぎて偶然にもネットでかつての人に出会って感激したこともある。

怠惰の生活をしていたため、卒業時点で自分の進路に障害が出てきた。卒業はできるが、教師になるための単位が不足していた。教員試験には合格していたが、教員免許が取れない。やむなく私立の高校にお世話になりながら、大学の夜間に通う始末。無駄の多い青年期ではあった。