写真コンテスト

「県北の現在」というタイトルで写真コンテストがあった。私は5点応募した。といっても2、3年前の写真だ。現在マクロ写真を中心に撮影しており、風景写真には余り興味がなくなっているので、私にとっては最後の風景写真だ。結果発表は余り期待していなかったが、審査当日講師の講評を聞きたくて行ってきた。なんと、特選。2位だ。雪山に白い足跡を撮影した作品だ。昨年の結果と同じだった。1位はなかなか獲得できないものですね。。「2位ではいけないんですか?」何年前か、女性政治家が言った言葉が浮かんできた。写真て、講師の好みに左右されることが多いので、1位でない悔しさも、2位の嬉しさもあまり感じない。この順位より、私の作品に対しての講師の言葉が嬉しい。「被写体を見る目がありますね。」この言葉はありがたいですね、写真愛好家にとっては。今年はまた風景写真にも目を向けてみようか、と思いつつ帰宅した。

82歳になった 2

前回から1週間過ぎた。私の大学生活は実に緊張感のない生活で、今から思い出しても恥ずかしいものがある。入学当初は珍しさもあったが、講義の内容にあまり意味も見出せず、ただ登校するだけの生活だった。タバコを覚え、酒を飲み、登校途中寄り道をして麻雀もよくやった。講義で何より苦労したのは、外国語大学だから当然だろうが、週2回もあった英会話の時間。英語の読み書きはできて当たり前だったが、英語で会話なぞしたことはなかった。指名されて、I'm sorry I don't  know.などとその場をやり過ごしていたもんだ。それでも単位だけは習得できたのがhappyではあったが。当時は全くのノンポリで。政治情勢には疎かったが、学生運動している最中、樺美智子さんが亡くなったことはショックっだった。元町をデモしたのは記憶にある。

今から振り返ってみると、モラトリアム中の自分の精神的未熟児と言っていいかもしれない。部活動にも打ち込めず、群れることの好きででない私だから、友人関係も希薄だったと思う。素敵な人にも出会ったが、なんとなく自然消滅して終わったこともある。しかし、人生て不思議なもので、同級生だった人から、同窓会の誘いがあって、渋々出席したが、意外に私を記憶してくれていて、自分の存在を確認したものだ。また、半世紀も過ぎて偶然にもネットでかつての人に出会って感激したこともある。

怠惰の生活をしていたため、卒業時点で自分の進路に障害が出てきた。卒業はできるが、教師になるための単位が不足していた。教員試験には合格していたが、教員免許が取れない。やむなく私立の高校にお世話になりながら、大学の夜間に通う始末。無駄の多い青年期ではあった。

 

 

 

82歳になった

10月17日は私の誕生日。82歳になった。自分が若い頃に見ていた82歳なんて、もうヨボヨボの爺さんに見えていたけど、さて、他人が見ている自分はどうなのかな。特別な思いは何もないけど、ちょっと昔を振り返ってみようか。

神戸で生まれたと聞いている。戦争があって、5歳で疎開したけど5年間の記憶は全くない。空襲があって防空壕に入ったとか、買い物に行列で並んだなんて話を聞いたけど、何も記憶に残っていない。小学校に上がる前に、カタカナを家で教えてもらっていたが、学校に入ったらひらがなだった。中学校では時に学級委員長に選ばれても、うまく喋れなくて恥ずかしい思いをした。司会なんてとてもできるはずもなかった。2年生頃から勉強を始めたかな。高校に入ると、数学が解析1、2が数1、2に変わった。片道10キロの道を自転車で通った。当時は舗装されてなくて、埃や飛沫を浴びながら毎日真面目に通った。数学や理科につまずき大学はハッキリ文科系しかなかった。生まれ故郷の神戸にずっと憧れがあり・英語が得意科目になったので、神戸市外国語大学を受験することになった。しかし、長い長い英文の問題文を読んでいると、突然鼻血が出てきて亜泡を食らってしまった。そんな具合で失敗。浪人生活1年。2年目の受験では、幸運の神様が出現。なんと前に解いたことのある問題がそのまま出題されていた。「やった!!」と私はついている、神様に感謝だった。というわけで「櫻咲く」の電報を受けた。ここから大学生活が始まるわけだけど、親元から離れて初めての解放感。勉強の目的を達してからは、モラトリアムの出現であった。(to be continued)

 

 

庭木の剪定

今日は朝から秋晴れ。雲一つない青空。こんな日に、コスモスを青空にむけて撮ったら良い写真になるだろうなーなんて思っていた。「今日は残している庭木の剪定をしようや」という妻の声が。そうだ、それもあったか、とりあえず写真はあきらめることにした。しかし、外に出ると、隣の空き地の草原に、朝露がびっしりついている。逆光で見てみると、すごい。ピカピカ光っているではないか。すぐにカメラを取り出して撮影会だ。カメラを覗くと、肉眼では見えない光を放っている。これだから写真はやめられない。撮影を適当に切り上げて、庭の剪定。今日の私の担当はマキの木を整えること、だけど、何しろ大きな木だ。葉もしっかり伸びている。高いところに上るなんてもう無理。よくコマーシャルで「高いところでも、軽くてこんなに綺麗に刈り取れる」なんて宣伝しているが、あれは嘘だ。重いことこの上ない。歳のせいかもしれないが腕が悲鳴をあげる。妻は隣の樫の子の剪定。ちょっと前までは私が全部していたのだけど、もうそう言うわけにもいかなくなっている。なんとか2時間ほどで完了。体がキシキシ痛んでいる。明日が怖い。

久しぶりの会食

隔月に昼を食べながら、おしゃべりをする五人の会が今日あった。このコロナ禍のため、3か月ぶりの会となったが、やはり気楽なおしゃべりはこの上なく楽しい。どちらかといえば、家にいる時間が長くなって、世間から取り残されている感もある中で、この出会いは誠に楽しく元気をもらっている。話題は思い付くまま何でもあり、だが、高齢者の集まりだ。やはり病気の話題が多いけど、気を使うような関係ではない。そもそもこのメンバー、現役時代からからの付き合いで、お互いカウンセリングの研修に励み、切磋琢磨した中なのでお互いを十分知り合っているという密な関係と言っても良い。ありがたいことだ。